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 アルファとおるです。
 今回はこんなニュースを流します。

小林よしのり氏「ネトウヨの教祖は安倍晋三」
4月19日09時32分
提供:アメーバニュース/政治・社会

 安倍晋三首相(58)は衆参各院の「3分の2以上」の賛成で国会が発議し、国民投票で過半数の賛成を得なければ憲法を改正できないと規定する「憲法96条」を改正する方針を表明しているが、漫画家の小林よしのり氏(59)がブログで憲法96条改正に異を唱えている。
 安倍首相は、発議要件の「3分の2以上」を「『2分の1』に変えるべきだ」との考えを示しているが、小林氏はブログで「これは立憲主義の崩壊に繋がる愚策」と反論。
 小林氏は憲法96条改正について、テレビや新聞の取材が増えてきていることを明かしており、「自称保守で改憲派は、安倍政権マンセー状態で、思考停止である。リベラルや護憲派は、もう悪性ナショナリズムに流されるままで、言葉に力を持たない」ことから、以前から安倍政権を批判している小林氏への取材増加に繋がったと分析している。
 取材が増え、小林氏は「オウム真理教と戦ったときと同じように、ネトウヨと戦うわしの株が上がる周期に入ってきそうだ」と綴っており「オウムの教祖は麻原彰晃だが、ネトウヨの教祖が安倍晋三であることも、もっと国民に知らせてやろうと思う」とコメントを寄せている。
 「憲法96条改正」については「『憲法96条改正』の重大な危険性に、気付いてる者が少なすぎる」としており、2013年4月18日に掲載の「『小林よしのりライジング』号外」で自身の「憲法96条改正」問題に対する見解を公表することを明かしている。


 愚かなものですねぇ。
 小林だって従軍慰安婦はいなかったという自由主義主観の信奉者だったじゃないですか。この問題はいろいろな立場の方がいて存在しているかいないかも含めて議論はあります。ですが、あったという事実は揺るがないのですよ。
 2008年10月30日の[国連(連合軍)・自由権規約委員会]で第2次世界大戦中の従軍慰安婦問題で、謝罪と補償措置を求めるなど日本に厳しい注文が多く出されました。これまで行われた日本政府による元慰安婦への補償措置を「十分でない」と指摘して厳しく批判し日本政府に対し、同問題での法的な責任を受け入れるとともに、被害者の大半が受け入れるような十分な謝罪と適切な補償措置を早急に講じるように求めました。
 自由権規約委委員会は、各国の人権状況を定期的に審査する組織で、意見書に盛り込まれた勧告に拘束力はありません。ですが、議論の過程において被害者や加害者の聞き取りも当然行われており共通した結論が導き出されているのは自然のことなりなのであります。
 その事実に小林は慄いているのではないですか。1996年にクマラスワミ報告書が国連人権委員会に提出され、慰安婦制度が国際法違反であり、日本政府に対して慰安婦に対する賠償を勧告しました。この報告書には不完全な点はありますが、問われるべきは人数や金額ではなく、犯した罪への真摯な反省なのであります。
 こんなたとえ話をいたしましょう。交通事故を起こした加害者が謝罪をしていたが裁判で「あれは致し方がなかった」と言ったら被害者はどう思うのでしょうかね。全くとんでもない暴言でしょう。日本政府のとっている態度はその態度にしてしまおうという姿勢がバレバレです。安倍もその姿勢に従っているのは従軍慰安婦を否定する新聞広告をアメリカで出した際にいっしょに署名した事実から見え見えです。
 小林の頭はそうした事実もない、薬害エイズでふらふらふらついて従軍慰安婦の問題でもふらつく有様です。安倍と同じ穴のタコツボで痛いタコ踊りを披露しているのには嘲笑ものであります。
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無題
呉善花著『反日韓国に未来はない』 より ──────────────────────────────

■いったいどこに「鬼畜のごとき」日本人がいたのか

日本統治時代に生活していた韓国のお年寄りには、日本人に悪感情を抱いている 人は圧倒的に少ないといえます。日本人と直接つき合いのあった人はだいたいが日本や日本人に親しい気持ちをもっています。

たとえば「学校での生活はどうでしたか」と聞いて、いやな思いをしたという話はほとんどありません。大部分の人が「日本人の先生にいい先生が多かった」といいます。

日本人からの聞き書き調査では、こんな 内容の発言もあります。

「韓国の青年たちが近所の川辺などで凧揚げをしているのを見て、とてもうらやましいと思っていたら、彼らはうまく凧を揚げる方法をいろいろ教えてくれた」「当時、日本人も朝鮮人も関係なかった。学校では、韓国人の先輩に、厳しく、服装などの問題で指導されたが、それがいつも怖かった」

こうした証言は、民衆レベルでは、実に当たり前の生活観が存在していたという証拠でしょう。だからこそ、直接日本人と接したことのある韓国人ほど親日派が多いのです。

それに敗戦後、日本人が日本に帰るときに、日本人に対する暴動も起きなければ、略奪行為もほとんど起こっていないのです。当時は、日本の軍事・警察機構は解体され、韓国の警察はほとんど機能していなかった時期です。もし、統治時代に日本人が韓国人に対してひどいことをしていたのならば、日本人の家に暴徒が殺到し、略奪行為が起きていても不思議ではなかったはずです。ところが、ほとんどの人が、そんなことはまったくなかった。噂すら聞いたことがないといっているのです。

それどころか、日本が負けて、これから彼らはどうなるのだろうと心配しながら、ソウルから釜山まで日本人一家の荷物を運んだ韓国人もいます。また朝鮮生活の長かった日本人からは、親しくつきあっていた韓国人一家と別れるのが辛くて、仁川の波止場でお互いに泣くだけ泣いて別れたという話をたびたび聞かされました。私は、そんな話を聞いてホッとすると同時に、反日教育で教えられたようなひどい統治があったと考えることにはどうしても無理があることに気付かされました。

実際の生活で日本人とつき合った体験のある人々に親日傾向が強く、実際の体験のない人々に反日傾向が強いということは、まさに私の実感ともピッタリ合うものです。

こんなおかしなことがなぜ起きるのでしょうか?

私が強く感じるのは、日本統治時代の朝鮮を語る際に、「政治史・制度史」だけが重視され、生活の十井については、それに役立つ限りで「資料」として採用されるにすぎない、ということです。逆にいえば、日本統治時代の朝鮮理解は、社会史・生活史などは不要であるという考えに強く支配されているということです。そのように政治的観点が重視されるあまり、日本統治時代のことは、すべて政治的に語ればよしとされ、社会的な現実など取るに足りないこととされてしまっているのです。もちろん、一つの時代を語るのに、政治史・制度史は重要なものです。しかし私は、実際にその時代を生きた人々の社会史・生活史もまた、政治史・制度史に匹敵するほど、あるいは場合によっては、それ以上に自由様なものだと思うのです。

この本を書き終え、私は韓国でも日本でも多くの場合「悪辣な日本統治」を描き出すのに少しでも役立つ材料だけが切り取られてきて、それ以外の材料はすべて捨てられてしまい、それが歴史となっていたことを、疑う余地なくはっきりと確信することができたように思います。

■両親に教えられた日本人

私の両親には戦前の日本で生活していた時期がありました。

母は14~15歳のころ、韓国の済州島から日本の大阪に渡っています。昭和10年代の始めのことでした。

そして、大阪のプラスチック製造工場を営む2人の兄を手伝ったのです。2、3年、日本で生活した母は、16歳のとき故郷に戻りますが、父と結婚するとすぐ、今度は鹿児島へ渡り、父の兄弟が経営する箸の製造工場の仕事をすることになりました。長女はそこで生まれたのですが、終戦までの数年間を日本で過ごしたのです。

叔父一家(5人)と父一家(3人)は、3人家族の日本人の家に間借りしていました。父母や叔父たちがいうには、「その家族も近所の人たちもたいへん親切にしてくれた。何かといっては果物やミカンをくれたりしたし、畑をただで貸してくれて野菜を自給することもできた」といっていました。

やがて戦争になり空襲が始まると、日本人は防空壕を掘ったのですが、その家の主人は叔父や父母たち韓国人家族も入れる大きな防空壕を掘り、防空頭巾を作ってくれ、アメリカの飛行機が来ると、いつも子供たちを先頭にしてみんなを先に防空壕へ入れ、自分はいちばん最後に入ったそうです。

戦争が終わって、叔父と父母の一家は、済州島へ帰ることになりましたが、その日本人家族は涙を流して別れを惜しんでくれ、自分たちも、お世話になったことを感謝し、泣くだけ泣いて別れてきたのだそうです。

その後、済州島で生まれた私は、両親から「日本人はとても親切な人たちだった」と聞かされて育つこととなりました。

母は「日本のミカンはとても甘くておいしい」と話していました。そのころ、韓国でとれるミカンは酸っぱい味しかしませんでしたから、幼いころの私は、日本に行って、甘いミカンをいっぱい食べたいと思ったものです。

また、当時、韓国ではお風呂に入る習慣がありませんでした。だから、母から、日本のお風呂や銭湯、温泉の話を聞いてとてもうらやましく思ったものです。日本に行って、甘いミカンを食べ、温泉に入る……それが私の夢でした。

また、私は母から口移しで教えられた日本語をいくらかしゃべれました。村のお祭りのときには、巫女さんが私を呼んで「日本語をいわせる」のが恒例になっていて、みんなの前でいくつかの日本語の単語を発しては拍手喝采を受けたものです。幼いころの私にとって、日本はとても親しい気持ちをもてる国であり、いつかは行きたい憧れの国としてイメージされていたのです。

そのように、親の世代から教わる日本人像には鬼のように悪辣な、ひどい国民だといったイメージはまったくありませんでした。

しかし、学校で強烈な反日教育を受けているうちに、私のなかから、そうした日本への「いいイメージ」はいつしか消えていきました。

すでに述べましたように、韓国では「田舎者ほど反日意識が弱いのは無学だからだ」などといわれていました。

逆に「高い教育を受けた者ほど反日意識の強い愛国者である」と見られていたのです。

大人たちから「勉強ができるいい子だ。上の学校に進む優秀な子だ」といわれれば、「それにふさわしい反日意識を強くもたなければならない」と子供心に思ったものでした。

その結果、私は親に対して誤った気持ちを抱いてしまいました。

「日本人は親切だ、なんて私にいい聞かせていた親たちは、みんな無学な田舎者だったのだ。日本人がほんとうはどれほど残酷なことを韓国に対して行なってきたかを教わってこなかったから、何もわかっていないのだ」

私が特別だったわけではありません。
韓国で教育を受けたすべての子供たちが、日本に対して、そうした気持ちを抱くようになっていたのです。

http://s.ameblo.jp/kpoop123/entry-11378764157.html
Posted by そこのあなた 2013.05.07 Tue 12:46 編集
そこの君www
しつもんはナニ?


呉さんの回し者みたいww
Posted by 大爆笑www 2013.05.07 Tue 16:37 編集
警告
 自称「そこのあなた」なる者へ。
 前回はコメントを消しておきましたが、今回はコメント禁止としたうえで、さらしておきます。
 ネトウヨ御用達のauからのアクセスご苦労様です。呉善花なる人物の本を取り上げて何の意味がありますのかな?
 建設的な議論ならお受けしましょう。しかし、君の意見には建設性はなく、「ねえねえ聞いてよ」程度しかございません。
 そんな君の意見を聞く価値はありませんので退場してもらいます。さようなら。
Posted by 北の疾風 2013.05.07 Tue 20:21 編集
フリーエリア
 「大森署管内エレベータ内強制わいせつ事件犯人」   「似ている男を知っている人は、ご一報ください」


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